「あくまでもやさしいということに価値がある。あくまでも心の品格ということに価値がある。【価値がある】とは、生きている意味を感じさせてくれるということ。それが人に生きがいをもたらせてくれるということ。ただ強くて感情をむき出しにして、暴言を吐いて人を痛めつけている人を観察してみるといい。欲求不満であるが、同時に心の底に淋しさがある。人と心が触れていないから正気を失っている。心の品格がない。そういう人が現実の世の中では財産を築くことがあるかもしれない。しかし心の借金で押しつぶされる日が、いつかは来る。心の借金を軽く見てはいけない。現実の世の中の借金以上に人の命を奪うことがある。現実の世の中で巨万の富を築いても、心の借金で苦しんでいる人の何と多いことか。それは虚しさであり、不安であり、絶望であり、孤独感である。心の品格の反対が心の借金である。【心の眼】で見るということは、表面的な言動を見るのではなく、その言動をした人の心の中を見るということ。恋愛でも、ずるい女は素振りで男を誘惑する。その非言語的なメッセージによる誘惑は眼に見えない。自分から眼に見えない誘惑をしておいて、男に言葉で誘わせる。そして【こう言われて、私は誘われた】と言う。表面的に見ると、あるいは言葉だけを考えれば、誘ったのは男で誘われたのが女である。もしそこで何か事件が起きたとする。するとたいてい【男が悪い】という。しかし声をかけさせたのは女のほうである。法律的な解釈と【心の眼】で見る本質的な解釈は違ってくる場合もある。【暴力は悪い】式の論議である。子どもを叩くときの親の心は無視される。親の心は叩き方にも表れるのだが、その心が表れている部分は無視される。子どもを叩くのが悪い場合もあれば、悪くない場合もある。それは親の心によって違ってくる」
著 加藤諦三 心の整理学より一部抜粋