「人生には、幸運な時があるように、不運な時というのもある。不運な時にじたばたしないことである。とにかく、理解できないほど運に見放されるという時は、どうしようもない。そして、悲惨な時ほど、やること、なすこと、すべて逆に出てしまうことはよくあること。不運な時ほど人は試される。運というのは恐ろしい。どんなに才能のある人が、どんなに努力しても、失敗につぐ失敗ということはある。辛いのは、そんな時、周囲のものが幸運に恵まれて、やることなすことうまくいっているということが同時に起きているということである。株を買っても、周囲の人の買ったものは暴騰し、自分の買ったものは暴落するという時がある。同じように土地を買っても、他の人の土地が年に二倍も暴騰しているのに、自分の買った土地は、逆に値下がりしてしまうという時がある。見返してやりたいと憎んでいた人間が、たなぼた式に出世し、自分は努力したのに、逆に窓際族に追いやられてしまったなどということもある。運は過去と同じようにどうしようもない。人間の力ではどうすることもできない。【今、ついてない】とわかったら、じたばたせずに、その損害を受け入れること。そんな時、取り返そうとしてはいけない。取り返そうと焦れば焦るほど泥沼に落ち込んでいく。運はやがて向いてくる。やがて幸運の時がくる。それまで待つこと。一つの不運をおおげさに嘆いていると、次の種類の不運を誘い出してしまう。不運な時ほど自分の今の幸運にしっかりと目をすえていなければならない。不運な時ほど、自分が健康なら健康に注目すること。自分の健康に注目しながら時のたつのをじっと待つこと。スランプの時、スランプから抜けだそう抜けだそうと焦るほど、スランプから抜けだせない。人生で大切なのは、攻める時と待つときのタイミングである。スランプは休めという指示でもある。不運も同じ。自分の上司にどう思われるかビクビクしているくせに、大切な運命の支配者が今自分をどう思っているかについては、ほとんど考えない。他人が自分をどう思っているか、いつも気を使うくらいなら、今、運命の支配者が自分をどう取り扱おうとしているか、気を使ったほうがはるかに快適な人生を送れる。小さな損害に耐えることで、大きな損害を避けることができる。スランプだって同じ。病気にかかった時でも同じ。風邪なのに無理をしてこじらし、もっと大きな病気に結びついてしまう。運、不運は仕方ない。これは神ならぬ身のどうすることもできないこと。ただ小さな不運を大きな不運に結びつけてしまうのは、その人の責任である」

著 加藤諦三 成功と失敗を分ける心理学より一部抜粋