「今日一日、明日につながることを一つすればいい。例えば【あいつのことはもう過ぎたこと】と心に誓う。【、、、たら】とばかり言わない。過去に囚われない。【今日も散歩ができて良かった】と今散歩をしていることを感謝する。それが明日に続く。ポーッとしていても【今日、こうして、ポーッとしていられる、有難いなー、幸せだなー】と感じられれば、それは明日につながる。色々あるだろうが、【この人生で良かった】と認めなければダメ。それで今がある。【神が、私にこの道を与えようとしていた】と思えばいい。【この道がなかったらどうゆう人間になっている?】ろくな人間になっていない。自分の人生を【これでよかった】と認めることは辛い。なかなかできない。ことに幼児的願望が満たされていない人には辛い。そう認めるくらいなら死んだほうが良い。幼児的願望が満たされていない人にとって第一に必要なことは、幼児的願望を満たすことである。その第一に必要なことをしないで、【これで良かった】と認めることは、肉体で言えば、食事をしないで【これで良かった】というよなもの。それほど【これで良かった】と認めることは辛いことであり、難しいことである。幼児的願望を満たすのは人間の基本的欲求である。根本の根本である。根本が満たされている人と、根本が満たされていない人とお互いに理解し合うことは難しいこと。甘えと言う幼児的願望が強ければ強いほど相手に対する【あーしてくれ、こーしてくれ】という要求も強い。しかし現実にはその要求は通らないことが多い。そこで不満になる。すねたり、不機嫌でいるのは甘えているから。いつまでもグジグジしているのも甘えているから。【あーだこーだ】と思うことで現在かかえている問題が深刻になる。ストレスがあると問題が深刻になる。甘えていると、何かあると人のせいにする」

著 加藤諦三 本当の自分はどこにいるより一部抜粋