モグラは空を飛ぼうとはしない。空を飛ぶことが一般的に価値があってとしても、母モグラから空を飛びなさいと毎日のように言われたとしても、決して空を飛ぼうとはしない。なぜならモグラは自分を知っているから。空を飛べない自分を受け入れているから。よく若いころは親からこうなりなさい、こうあるべきだと言われました。それは確かに社会的には価値がある。しかし人には得意、不得意、長所、短所、向き、不向きと複雑な心理がマクロで入り混じっている。自分を知り、自分の本性で生きることができれば、誰に何を言われようが自分の道を進めるようになりますね。

「カメは自分を知らないから、のこのこ陸を歩いている。カメは海の生き物だと自分を知っていたら陸になんて出てこない。海の中で長生きを競っているなら良いが、ウサギと陸で競争している。カメは不得意分野で生きている。カメはのろいからカメである。カメは劣等感の塊。自分の長所も短所も知らない。寓話ではカメが勝つが実際にはありえない。カメは負ける。カメがウサギに勝ったらカメはカメでなくなる。人は何でも勝つことが良いと思っている。しかし、すべての勝負に勝つことが良いのではない。この人生には勝つことが良いこともあれば、負けることが良いこともある。カメはウサギに負けたことで、自分が固有の存在であることが証明できる。自分は海の生き物なんだと自分を知るきっかけとなる。ウサギと競争させられたカメは、じつは負けることが幸せになることである。何より大切なことは【自分が自分として生きること】である。カメにとっては負けることが【自分が自分として生きること】なのである。ウサギがウサギの仲間の中で幸せに生きていれば、カメに向かって【競争しよう】とは言わない。【どうしてそんなにのろいのか】と言うウサギは、ウサギの中で劣等感を持っているウサギである。やさしさのない不幸なウサギである。もし、カメがカメの中で幸せに生きているなら【なんとおっしゃるウサギさん】とウサギに挑戦しない。もしカメが幸せなら、こんなウサギを相手にしない。このカメとウサギの寓話は、カメもウサギも不幸なことを表している。ウサギだって、もしライオンと戦って勝ったら、それはウサギではない。不幸なカメとは【私はウサギであるべきだ】と思っているカメである。不幸な人は、自分は【こうあるべきだ】というところから出発する。だから生きるのが辛くなる」

著 加藤諦三 (自分の受け入れ方)から一部抜粋