「言葉ではうまく表現できないけど、【何だか知らないけど、そう思う】【何だかわからないけどあの人は信用できない】ということがある。そしてそれは結果として正しいことが多い。なぜ【そう感じる】かは言葉で証明できないが、結果として【そう感じたこと】が正しいとあとで分かることがある。だからなぜだか分からないけど、何となく不愉快な人とはつき合わないこと。言葉では説明できなくても、それにはたいていきちんとした理由がある。しかし、人ははっきりと理由を説明できないと、断ることに罪悪感を覚える。そこが相手の付け目なのである。そこで不本意ながらも、いやなことを引き受けてしまう。要するに多くに人は相手の言いなりになってしまう。不満の原因は多くの場合にこちらにあるが、不愉快というのはたいてい相手側に原因がある。相手の何かがこちらを不愉快にさせている。例えば、いつも人を利用しようとしている人がいる。そういう人と一緒にいれば何となくうれしくはない。相手の心がこちらにも伝わるからである。そういう人は銀座のクラブのママよりも質が悪い。銀座のクラブのママは、ニコニコと笑顔で接してきてもあとで必ず請求書を送ってくるとこちらは分かっている。しかしいつも人を利用しようとしている人は、ニコニコと笑顔で接し、金銭抜きのような顔をしながら最後にはきちんと法外な請求書を送ってくる。ニコニコと笑顔で接し、いかにも誠意だけで動いているつき合いのように相手に思わせながらも、お金が第一な人というのがいる。そういう人と一緒にいても、何となく不愉快なのである。ビジネスはビジネスと割り切っている人のほうがはるかに気分がいい。そういう偽善の人といるよりも、お互いの関係はお金とはっきりとしている人と一緒にいるほうがはるかに気分がいい。しかし相手は具体的に悪いことをしていない。ニコニコと笑顔で接してくれているのだから。しかしこれは本質的には騙されているのである。相手は表面的には悪いことをしていないが、本質的には悪いことをしている。つまり、その人は全ての人に笑顔で接しているか、ということではない。あなたはカモと見抜かれたのである。あなたのお人好しを見抜いて笑顔で接してきた。笑顔で接したほうが儲かると思うから、あなたには笑顔で接してくるのである」

著 加藤諦三 一部抜粋