「よく、何もする気にならない、という人がいる。【自分が何をしたいんだか自分にもわからないんです】【何かをしたいとは思うのですが、具体的に何をしたいのかわからない】といった声をよく聞く。まず、私たちが知るべきは、人間の欲求とか望みとかいったものは複雑なものだ、ということである。必ずしも100%あることを望み、100%あることを望まないというものでもない。また自分自身の中に、あることを一方で望み、また他方でそれを拒否する傾向がある。それなのに、自分のやりたいことは何か、と考えるとき、100%やりたいことを探している。だからやりたいことが見つからないのである。ジョギングをしたい、だけど面倒くさい。テニスをしたい、だけど気の合った仲間とでなければやりたくない。したがって、やりたいようでもあるが、よくよく考えるとやりたくない、ということは沢山ある。そこで何をやりたいか、を探すとき、‘‘よくよく考る,,ということをとりあえずやめることである。そして、まずペンとノートを用意する。時計の針を見て、ちょうど区切りのよいところにきたら、何でもいいから、今やりたいことをどんどん書いていくことである。晩ご飯においしいものを食べたい、恋人がほしい、旅行に行きたい、車で出社したい、歌をうたいたい、、、何でもいいから、とにかく心の中に浮かんでくるものをどんどん書いていくことである。面子にこだわる傾向の強い人などは、すぐに格好をつけるから、自分はこんな望みを抱いて品がわるいのではないかと考えだす。単に紙に書いていくのでさえも、自分を立派に見せようとするから、一瞬これをやりたい、と思ってもすぐにそれを否定する心が働いてしまう。そこで、何を望んでいるのかわからなくなってしまう。とにかく考えないでどんどん書いていくこと。誰に見せるわけでもない、どんどん書いていく。権力がほしい、お金が欲しい、とふと思えば正直に書いていくことである。オレはそんな世俗的なことは嫌いだ、と無理に格好をつけだすと、自分にも自分の望みがわからなくなる。歯医者にはなりたくない、と思ったら何も考えずにパッと書くこと。パッと書いてしまわないと、他人の期待が頭の中に浮かんできてしまって、書けなくなる。どんなことでもいいから書き続けることである。あいつをぶんなぐってみたい、どんなことでもいいから今ここでしたいことを書いていく。30分なら30分書き続けて、あとでそのリストをじーと見ることである。その中には、成功したいとか、美味しいものを食べたいとか漠然とした望みもあるだろう。しかし中には具体的なものもあるはずである。おいしいものを食べたい、というものではなく、いつも前をとおっているレストランで、あの人と二人でビーフシチューを食べたい、というものも出てくるはずである。そんなことを2日もやってみる。すると今まで自分をどのように抑圧していたか、ということもわかってくるはずである。そのためにもリストをじっくりと見ることである。すると、歌手で成功してテレビでうたいたいとか、大金をもうけて別荘をつくって皆を招待して感心させたいとか、夢のようなことが沢山ある一方で、あいつに会うのはいやだとか、学校にはいきたくないとか、会社を休みたいとか、○○をしたくないということが沢山でてくるかもしれない。つまり一方で、自然な体験より見世物的な無理な体験を望みながらも、他方では、あれをしたくない、これをしたくない、といつもしたくないことに囲まれている。自分はおそらく天賦の資質には満足してないから、ありのままの自分に満足してないのではないか、といろいろ考えることだろう。つまり、書き続けているときは考えない。考えないためには、手にもったペンをけっして止めてはならない。書くことがなくても、一定時間は書き続けなければならない。ペンを止めると考えだしてしまう。考えだすと、自分をあるがままの自分以上に見せようとするから、格好のいい望みばかり書こうとして、いよいよ筆は止まってしまう。そんなリストを作っても、あるがままの自分ではなく、歪んだ自分しかでてこない。自分が歪んでいるから、自分は本当に何をしたいのかわからないのである。そこで、どうしても、何をしたいか書けなくなったら、自分の眼に入るものを書き続けること。さしあたり、机、ボールペン、本、椅子などというのでよい。そのうちもっと書きやすい万年筆がほしいとか、やっぱりオレは社長のイスに座りたいとか書くことがでてくる。中には、ふと、こんなことをやってもしょうがない、と思えば、そのとおり、こんなことをやってもしょうがない、と書けばよい。とにかく何を書いても筆を止めないこと。こんなことをやってもしょうがない、とふと思ったら、そう書くことで、あとからじーとリストを見ていて、どうも自分は自分のやることを否定的に考えがちである。何か基本的な不快感をもっているのかもしれない、と考えることができる。自分はすべてに否定的、懐疑的であるということを自覚できれば、大変な収穫である」
著 加藤諦三 自信より一部抜粋