「長い人生では【あそこまでしてあげて、この仕打ちかよ】という裏切りの体験がある。信頼をしていた側近に裏切られるということはいくらでもある。人を利用して、利用価値がなくなったら手のひらを返す人は沢山いる。たくましい人というのは、何度煮え湯を飲まされてもそれを乗り越える人。【煮え湯を飲まされる】のは味方と思っていた人が、裏で裏切っていたという時。飼い犬に手を嚙まれるというが、そうした時に人は最も悔しいい。敵とはじめからわかっている人のほうが悔しくはない。敵は敵だから戦えばいい。勝てば勝ったらでいいし、負ければ負けたのである。しかしある【仲間】を味方と信じて、敵と戦っていた。その【仲間】を敵からかばい続けた。しかし実はその【仲間】は裏切り続けていた。そんな時、ショックと同時に悔しい。スパイはスパイで分かる。これは敵である。しかし味方の中で裏切る【仲間】はスパイではない。敵と通じてるわけではない。ただ自分の仲間を裏切って、自分だけが甘い汁を吸おうとしている。徹底した自己中心的利己主義。人の心にとって一番の痛手となるのは、そうした裏切りの仲間である。人間関係のトラブルで、敵は最大の問題ではない。敵はリスクを負っている。スパイも危険を背負っている。仲間を裏切る人は、裏切りは顔に出さない。敵と違ってリスクを負っていない。こういう人は、憎しみを持っている。一番始末が悪い。その人はこちらを羨ましく思っている。なので心の中ではこちらを嫌っている。だがこちらについていれば得をする。だからこちらに仲間の顔をしている。ずるい人は仲間を使う時には使う。ずるがしこい。そして裏切られた時、自分の心の弱さを反省し、その体験を自分が強い人間として立ち直るきっかけにする。裏切った人たちの姿を見て、【自分はこれほど酷い人たちを組んでいたのだ】と我が身を反省する。そういう人は苦い経験を通して成長する。あの人達とつきあえたのは、自分もあの人達と同じ種類の人間だったと驚き、自らの愚かさに気が付く人は生き延びる」

著 加藤諦三 たくましい人より抜粋