「悩みを顕微鏡で見ているときは、生命力が落ちている。そして生命力が落ちているときは悩みを顕微鏡で見る。悪循環をしていく。なぜ生命力が落ちるのか。それはストレスからである。ストレスは【あれも欲しい、これも欲しい】という欲があるから酷くなる。人は欲望が強すぎて生き方を間違える。自分で自分の問題を作っている。ある若い女社長が、信頼していた総務部長にお金を騙し取られた。その社長は【あの総務部長が!】と考えるとやる気が落ちる。【あの総務部長が】と考えると悔しさでエネルギーを奪われる。 【あの総務部長が】と考えることで、ストレスとか憎しみとか、嫌だなーとかいう感情に襲われる。おそらくうつ病の人は、そういう状態でずっと生きてきたのだろう。その不愉快なマイナスの感情の中で生きているから、体は生きているけれども心は生きていない。しかしその女性社長は【いいや裸になって】と思ったらエネルギッシュになったという。つまり財産に対する執着を捨てた。彼女は財産に執着して病気になるのと、財産に対する執着を捨てて元気になるのとどちらが良いかを考えた。捨てるものを捨て、得るものを得ようとした。【この時代にはこれだけのお金を持っていかれる。私はそういう巡り合わせ】。彼女はそう思ったのである。財産に対する執着を捨てられないと憎しみの感情に支配される。そして憎しみが前向きのエネルギーを奪う。自分を騙した人達に注意を奪われていたら、彼女はエネルギッシュになれなかったであろう。彼女はその人たちを切るのではなく、捨てた。【捨てた】というのは前向き。捨てなければ新しいものは始まらない。それでも時々は嫌だなーと思う。でも捨てた。私はあの人を捨てた。これが大切。捨てるものがあるから得るものがある。悩んでいる人は、重箱の中のものをなかなか捨てられない。心を整理するとは、肉体的なことで言えばお風呂に入るようなもの。お風呂に入って垢を落とすとやる気になる。心にも垢を持って生きていてはダメ。人生では人にも物にも入れ替わりがある。相手と心理的な波長が合って一生懸命になるのは良い。その人と心理的な波長が合わないときに一生懸命になるのでは、消耗するだけ。○○さんと波長が合わない。それは決して悪いことではない。そういう時には無理をしないで【捨てる】ことである。【捨てる】のはエネルギッシュな行動。不愉快なことに蓋をしようとしているときは、エネルギーのないとき。とにかく八方美人を止める。対象無差別に好かれようとすることを止める。波長を基準にして人間関係を整理する。対象無差別に好かれようと動いていると表面的には活発に見える。しかしそうゆう時は、自分自身のエネルギーがないときである」

著 加藤諦三 心の整理学より一部抜粋