「責任や重荷や負担は辛い。しかしそれを正面から担ごうとする時に自分の存在の確かさを感じるのである。だからわがままな人間がどこまでわがまま放題に生きても不満は募るばかりなのである。お金持ちの放蕩息子はわがまま放題にしながらも心は荒んでいる。劣等感を隠そうとして、不自然なほど傲慢である。【わがまま】とは責任回避ということ。負担を背負わないということ。義務回避ということ。だからわがままな人間はいつになっても心理的に安定しないのである。自分という存在の確かさは責任や重荷や負担とともにやってくるもの。嫉妬してる人は、自分は何もしてない。正面から重荷を背負えば、それほど嫉妬等に苦しまなくてもいい。人間は得ることで生きる支えを得るのではなく、やるだけのことをやるだけで生きる支えを得るのである。自分がやるだけのことをやっているから人にもハッキリと何かを言えるのである。人にハッキリと何かを言えない人はやるだけのことをやっていない。そういう意味では、嫉妬やハッキリと相手に言えない傾向は、自分を見る良い尺度である。自分の主張をハッキリを言えない時は、自分はやるべきことをしないでずるく立ち回ってはいないか自分を見つめてみること。はたから見て恵まれている環境にいながらもなぜか幸せそうでない人々がいる。年をとってから、経済的にも恵まれ、子供や孫という家族にも恵まれ、時間的ゆとりもあるのに、どこか態度が不自然なのである。そういう人を観察してみるとわかることがある。怠け者で、ずるい人々であるということ。彼らは今まで長い人生を、人に負担を押しつけて生きてきた。うまいこと言っては負担から逃げてきた。自分が実際には何も貢献していないのに、ものすごくいろいろの貢献をしているふりをして生きてきた。得しよう、得しようとずるく立ち回って生きてきた結果、自分の存在が何か不確かなのである。買い物に行ったが安いものを買って得しよう、得しようとしていて、最後には何の買い物に行ったか分からないような人である。重荷から逃げたが、生きる支えも同時に逃げてしまったのである。今人生の重荷に苦しんでいる人は、自分は天国へ通じる狭い道を歩いているのだと信じて良い」
著 加藤諦三 人生の重荷を軽くするヒントより一部抜粋
