「大人の持っている幼児性は、いつも満たされない。従って幼児性をそのまま心の底に残している大人はいつも不満。その結果として要求がましい大人となる。しかしこの不満はその人の心の中の問題であって、周囲の人はこの不満に責任を感じることはない。不満な人間がそばにいると気になるが、これはつとめて無視すること。つまり、その不満な人間は【そこにいるがゆえに】不満なわけではなく、どこにいたって不満なのである。ただ問題は、こちらにも幼児性がそのまま残っていると、そこにいる不満な大人を無視できないということである。つまり幼児性をそのまま残している大人は、近くにいる人にどうしても気持ちがからんでいってしまう。それは、幼児性を残しているということは、一人でいることができないということである以上、仕方のないことである。情緒的未成熟な大人は近くにいる人をほっておけない。どうしても気持ちがからんでいく。余計なお世話をする。干渉していかざるを得ない。親切とか心配とかということを口実にして、近くに人に干渉していく。つまり情緒的に未成熟な大人は、近くにいる不満なもう一人の大人をほっておくことができない。その不満な大人に気持ちがからんでいってしまう。情緒的に未成熟な大人は、近くに人を気に入ったり、嫌ったり、好きになったり、面白くないと反発したり、好意を持ったり、敵意を持ったりする。ほっておくということがどうしてもできない。先に【そこにいるがゆえに】不満なのではなく、その人の心の中に問題があるがゆえに不満になっている人はほっておくほうがよいと書いたが、困ったことに気持ちのうえでほっておけないというのが幼児性を残した大人である。従って、自分の気持ちがそのように近くの他人にからんでいってしまう人は、まず自らの幼児性を反省すること。それを反省しないで、親切だとか、そういうことは冷たいとか、友情だとか、愛情だとか、いろいろの言葉を使って、自分の気持ちが相手にからんでいくことを正当化すると、いつになっても心理的に成長することはできない。自分の気持ちが相手にからんでいってしまうことを【思いやり】というような言葉で正当化していると、いつになっても思いやりのある人間にはなれない。思いやりを持つためにはまず相手を理解しなければならないだろう。しかし自分の気持ちが相手にからんでいく時は、決して相手を理解しようというのではなく、自分の思うように相手の気持ちを支配しようということにしかすぎない」

著 加藤諦三 自分に気づく心理学より一部抜粋