人には【憎しみを忘れる人】と【執着する人】がいる。失恋に際してたいていの人は、【一生憎しみ続ける】と怒っても、やがては新しい恋に目覚め、憎しみも消えていく。しかし世の中には、本当に一生、昔の恋人を憎しみ続ける人もいる。【あの人を許せない】という怒りが終わるときがない人もいる。関わった人を許せる人と許せない人との生き方の違いは、どこにあるのだろうか。もちろん関わった人をすべて許したほうが良いというのではない。絶対に許してはいけない人達がいる。それは質の悪い人、人を騙す人。その場合必要なのは、【許す】ことではなく、自分が再生するために【憎しみの感情を乗り越える】ことである。自己実現している人は、憎しみの感情を乗り越えることができる。しかし、そうでない人は憎しみの感情を乗り越えることができない。憎しみの感情に飲み込まれると、最後はつまずく。不本意な体験が重なり、人生がいつまでも自分の思い通りにいかないと、対象無差別の憎しみになり、ついには無差別殺人という最悪の結果になってしまう人すらいる。【和歌山毒入りカレー事件】という殺人事件があった。これほど、憎しみの感情に飲み込まれた事件の象徴であるといえる。また、自分の【許せない】という気持ちの方が間違っている人もいる。神経症的傾向の強い人は、自分が悪いのに、相手を【許せない】と感じる。欲求不満な人も、自分が加害者でありながら、被害者の人を【許せない】と言っている。子どもが受験に失敗した。そのとき子供の失敗を許せない、という母親がいる。【あんなに勉強しなさいと言っていたのに】と。それは母親がおかしい。失敗して一番傷ついているのは子供である。そういう【許せない】という気持ちがいつもある人は、その人自身が問題なのである。こういう母親は、自分の不幸な感情のはけ口として子供の失敗を責めている。もし、【絶対に許せない】という人が身近に10人以上いる場合には、その人自身に問題がある可能性がある。逆に身近に許せない人が一人もいない場合には、これもその人に問題があることが多い。【絶対に許せない】という人が一人もいない時には、純粋な人ではない可能性がある。騙した人を許せないというのは、本来、人にとって正常な感情である。現実に世の中には詐欺師をはじめとしてたくさんの質の悪い人がいる以上、普通の人は何らかの形でひどい被害にあっている。よほど幸運な人を除いてたいていの人は、何らかの形で騙されている。そのときに【許せない】と思うことは心理的に正常である」

著 加藤諦三 どうしても許せない人より一部抜粋