「どんな失敗のなかにも心理的には学ぶべきものはある。自分のものの見方の歪み、自分の視野の狭さ、自分のうぬぼれなどの反省の機会を得ることができるのが失敗である。失敗を受け入れない者は、失敗から何も学ぶことはできない。損をしても、そこから学べばそれは授業料になる。しかし、何も学ばなければ、それは授業料にもならない。世の中は甘くないといってひきこもり、いよいよ行動半径を狭くしていくのでは、その失敗がいよいよ大きな不幸への引き金になっただけのことである。世の中はそんなに甘くないというだけの教訓は、人生に否定的な役割しかはたせないのではないだろうか。それよりも、自分の世の中の見方のどこが間違っていたのかという冷静な受け止め方が必要なのである。自分はある人を尊敬していた。素晴らしく有能だと思った。そこで、その人の言うことを信じて行動して失敗した。この時、【世の中はそんなに甘くない】と考えるのでは、消極的な生き方になってしまうだろう。そもそも、自分に【人を見る眼】がなかったのではないか、【人の見方】が間違っていたのではないか、ある点で【有能】ということにとらわれて、その人全体を見る力に欠けていたのではないか、【あの人は偉い】と見た自分の価値観そのものが歪んでいたのではないか、逆にいえば、自分の心のどこかで見下していた人にこそ隠された偉大さがあったのではないか、というような反省が必要なのである。その失敗によって、今まで見えなかったものが見えてきたというのであれば、その失敗は長い人生のなかでは決してマイナスではない。勝海舟は、時に勢いに乗ってくる者は、つい実際の寸法より大きく見えると言ったそうである。時の流れにのっているから仕事ができているのに、その人の実力だけで仕事ができていると判断してしまうこともある。そんな人と組んで仕事をして失敗したのであれば、やはり自分の人物を見る眼がなかったのであり、時の流れに眼を奪われていた自分でしかなかったのである。時には、ある人の知識に眼を奪われてしまうことがある。そして、その人の言う通りにして失敗することもある。しかし、それは自分が知識ということを不当に重大視していたためであろう。知識も大切だが、決断力、実行力といったものの価値がわからないで、人を評価していた自分の愚かさを反省することである。失敗した時、【あんな知識のある人のいう通りにして失敗したのだ、ああ世の中は甘くない】だけでは、失敗から何も学ばなかったどころか、失敗によって、自分をさらに臆病な人間にしてしまうことにある。世の中を動かしているものは一体何かということについて、自分の無知を反省してこそ、その失敗は成功へのステップとなる」

著 加藤諦三 成功と失敗を分ける心理学より一部抜粋