「たくましい人とは、例えばギャンブル依存症のような人を親戚に沢山持ちながらも、なお倒れないで頑張って生きている人である。【お前の会社の前で、お前の兄貴のことを書いたプラカードを立てて騒いでやる】などといつも脅されながらも平気で笑顔で生きている人である。【私の親戚緑者はみな立派な人ばかりです】などという、あまりにも望ましい環境の中で生きている人の中には、たくましい人はいない。何故なら人は鍛えられて初めてたくましくなるから。気を失いような悔しさに耐えて、人はたくましくなっていく。良い環境では鍛えられる機会がない。無菌状態では世俗の社会感覚がない。無菌状態では、自分とは関係ないことで搾取タイプの人から脅されることもないだろうし、ずるい人から騙されることもないだろう。本当にたくましい人とは、どのような種類のトラブルにも、どのような種類のストレスにも、どのような種類の失敗にも、決して負けない人である。踏まれても、踏まれてもなお生えてくる雑草のような人である。ある人が【強くなければ生きていけない。でもやさしくなければ生きている意味がない】とよく口にしていた。彼は55才で倒れて、60才で他界した。つまりやさしい人だが、たくましい人ではなかった。たくましい人とはやさしくてもこの世俗の中で生きられる人である。たくましい人とは、やさしい気持ちがありながらも、なおしぶとく生き残る人である。【そんな人生意味がない】という考え方もあるだろう。でも一方で、踏まれれば踏まれるほどたくましい人になろうとエネルギーが湧いてくる人もいるだろう。単にしぶといだけではまさに生きている意味がない。しぶといが同時にやさしい、それがたくましい人である」

著 加藤泰三 たくましい人より一部抜粋