「ある人はいつも【心を鍛える】と言って座禅を組んで瞑想していた。しかし現実に起きることからは全て逃げていた。毎日起きるトラブルから逃げて、どんどん追い詰められていくのに、彼は【心を鍛える】と言って座禅を組んで、自分は修行をしているつもりであった。借金取りが来る。その借金を解決することが修行なのである。しかしその人は借金取りから逃げてしまう。問題は大きくなる。さらにいろいろと苦しいことが出てくる。それでも何もしない。そして修行と言って座禅を組んでいる。嵐が来て堤防が決壊しそうになったら逃げることが解決である。しかし逃げないで、水に襲われて苦しくなり、修行修行と言っているような人がいる。それは修行ではなく単なる【現実逃避】である。現実逃避を修行と勘違いしている人は案外多い。現実の世の中で起きたトラブルに対して【解決に動く】、それが修行。ただ不満を我慢することが修行ではない。毎日起きるイヤなことを処理するためには会いたくない人と会わなければならない。イヤな人と話をしなければならない。言いたくないことを言わなければならない。そのイヤな人と会い、言いたくないことを言うことが修行なのである。座禅で鍛えられるのではなく、怒りの感情を抑えて冷静に良識をもって行動することが修行なのであり、それが心を鍛えるということなのである」

著 加藤諦三 たくましい人より一部抜粋