「好かれることと市場価値とが同じであると錯覚した人々が増えた。だから完全であろうとする。ナスが自分の傷を見せないで、店頭で自分を立派に見せている。ヘタが取れてしまって、色あせて、食べられない。ナスの価値がない。しかしそれを表に出せれば心地がよい。それを言えるのが母なるもの。現代人の価値は【売れること】である。しかし自分が【ボロボロだ】と言える環境が母なるもの。それを言えない環境が競争社会。それでイライラする。なぜ【ヘタが取れてしまって】と嘆くのか。競争社会で生きていることが辛いから。原点は、競争社会で愛を知らない人達だから。傷がついたら認められないと思っている。5円でも買ってくれればいい。傷がついても色あせても【これ、ぬか漬けにしたら最高よ】とナスが自分の価値を言う。自分の長所と欠点をしっかりと認識する。これが自我の確立。リンゴは落ちても、ジャムになれる。完全でなくても価値はある。傷がついたら認められないと思っているリンゴは、自分の扱われ方を知らない。自分を知らない。【ヘタが取れても、ぬか漬けにすれば最高なのよ】という親子の語らいがなかったから、弱点で悩む。親が完全でないものは取り扱えない。そこが問題。【あんたなんか生まなければよかった】となってしまう。そうなればナスは【完璧でなければいけない】と思う。欠けてるものがあってもやさしい人は相手を尊敬する。それが愛。父親を尊敬するのと、リンカーンを尊敬するのとは違う。父親は理想の人でなくても尊敬できる。リンカーンは理想の人だから尊敬される。尊敬には2種類ある。愛は時間をかける」

著 加藤諦三 好かれる人より一部抜粋