「自分が変われば世界は変わる。それは自分が変われば政権が交代するとか、自分が変われば経済が繁栄するとか、自分が変われば虐めのような世の中の大問題が解決するとかいうことではない。自分が変わっても、世の中の現実は変わらない。しかし、自分が変われば世界は変わる。それは自分が変われば、今まで悔しかったことが、悔しいことではなくなるかもしれないという意味である。自分が変われば、怒りの対象であった世の中が、感謝の対象になるかもしれないという意味である。悔しいことが悔しいことではなくなるかもしれないという意味である。【自分が変われば世界は変わる】というのは、自分が変われば、世界に対する自分の感じ方が変わってくるという意味である。事実として同じ世界に住んでいても、それが住みにくい世の中から住みやすい世の中になるかもしれない。そうした意味で自分が変われば世界は変わるのである。また同じように、自分が変われば相手も変わる。相手が不愉快な人から有難い人になるかもしれない。もし、あなたが神経症的要求を訴える人であれば、要求に応じない相手を【けしからん奴】と感じるだろうが、もしあなたの神経症的要求自体がなくなれば、同じ人が【有難い人】になるかもしれない。世の中には相手から搾取しながらも、これくらいの量じゃ足りないと相手に不満を感じる人がいる。攻撃的な人は、このような欲求不満から理不尽に人を攻撃する。彼らが普通の人になれば、世の中はまったく住みやすい世界になる。今まであなたを非難罵倒していた人が、感謝をすべき人に変わる可能性もある。また、自分が変われば、敵が味方になることもある。自分の中にある感情を周囲の人を通して見ることを【外化】というが、自分の中の敵意を外化している人がいる。そういう人は、自分が周囲の人に敵意を抱いているのに、周囲の人が自分に敵意を抱いているように思う。しかしそれは違う。自分の中の敵意を周囲の人を通して見ているだけである。この人が【外化】という心理過程を止めれば、その瞬間、周囲の人は敵でなくなる。自分が心の中で敵と思っていた人が敵ではなくなる。今までは現実と接していなかった自分が、現実と接するようになる。現実そのものが変わったということではなく、自分の現実の認識の仕方が変わったのである。自分が変われば、相手も変わるということは、自分が変われば、現実に気がつくということでもある。自己中心的でわがままな人は、自分の身勝手な欲求を押し通そうとするから、周囲の人が妨害者に思える。しかしわがままでなくなれば、周囲の人に不満を抱くことはない。つまり自分が変われば、周囲の人が普通の人だったことに気づく。また、依存心の強い人は相手を自分の思うように支配しようとする。しかし現実には支配はできない。そこで相手に不満を抱く。しかし自分が依存心の強い人から、精神的に自立した人に変われば、相手を思うようにしたいとは思わない。支配しようとしない。だから相手に不満を抱かない。自分が変わることは大変なことである。しかし、とにかく自分が変われば相手も変わる。自分が変われば、自分の住んでる世の中が変わる」

著 加藤諦三 どうしても許せない人より一部抜粋