「欲求不満なウサギがいる。自己不在のカメがいる。カメは自己不在だから陸にのこのこと出てくる。カメはどう生きていいか分からないから、自分のいるべき水の世界から陸に出てくる。本来自分のいるべき水の世界にいない。砂の上を歩いているカメ。うまく歩けない。それで自分がダメだと思っている。カメは努力してもダメ。楽しくないということは、そこがその人に合っていないということ。生きる場所を間違えると、そこでまたおかしな人に出会ってしまう。おかしな人に囲まれてしまう。この寓話は、まさに自己不在な人間が犯している間違いそのものである。つまり【もしもしカメよ、カメさんよ】とウサギに声をかけられてしまう。【世界のうちでおまえほど、歩みののろい者はいない】その後で【どうしてそんなにのろいのか?】と言われる。余計なお世話なのに【なんとおっしゃるウサギさん】とウサギのペースに乗ってしまう。つまり間違ったところを歩いていることでカメはさらに間違った生き方をしてしまう。変な人が変な人に声をかける。おかしな人がおかしな人と結びつく。そしてさらにおかしな生き方を始める。それが人間の世の中である。カメはウサギと競争してはならない。ウサギから【どうしてそんなにのろいのか?】と言われたら、【私はウサギではありません、カメです】と言わなければならない。そう言えばカメはウサギに振り回されない。このカメには自分の軸がない。カメにとって速さを競っても意味がない。カメが速かったらカメではない。もしがんばって速く走れたとしてもカメは幸せになれない。もしカメがウサギに勝っても、自己不在という心理状態は変わらない。カメはウサギに勝っても不幸であることは変わらない。不幸な人、不安な人は勝てば幸せになれると思っている。安心できると思っている。しかし決して幸せにはなれない。カメが長生きを競争するならいい。水の中で競争するならいい。しかし陸で競争してはダメ。そもそもウサギがうろうろする陸にカメがいるのがおかしい。それは自己実現していないカメである。自己不在のカメで、周りからどう思われるのかを気にしているカメである。本来の場所で、仲間のカメとうまくやれないカメだから陸にいる」

著 加藤諦三 自分のうけいれ方より一部抜粋