「幸福についての本がある。どれを読んでも、お金が幸福や自信や誇りをもたらす、とは書いていない。どれを読んでも、成功が幸福や自信や誇りをもたらす、とは書いていない。では一体何が人に幸せとか自信をもたらすのであろうか。そのことを具体的に書いてある本はあまりない。もちろんどの本も愛とか、神を信じるとか、真実とか、創造的に生きるとか、幸福を求めないで情熱の対象に向かって生きれば副産物として幸福になれるとかいろいろ書いてはある。しかし具体的ではない。そうした本を読んでいて気づいたのは、つまりお金とか、権力とか、名声とかは皆、結果なのである。結果は自信とか幸福とか誇りとかとは直接関係ないということ。ではなぜ、どの本も【お金が自信とか幸福とか誇りとは関係ない】とわざわざそれらのものを否定しなければならないのであろうか。それは、お金が誰にとっても欲しいものだからであろう。つまりお金は人が欲しいものなのである。それを得ることは多くの人にとって喜びなのである。権力やお金や名声を多くの人は欲しがる。そして多くの人はそれを得ると喜ぶ。宝くじに当たれば喜ぶ。権力や名声も同じ。だから入学試験に合格すれば喜ぶし、試合に勝てば喜ぶ。つまり喜びとか楽しみと、自信とか幸福とか誇りとは直接関係ないということ。権力とか名声とかお金は喜びであっても、自信とか幸福とか誇りとは直接関係がない。極端に言えば麻薬は喜びや楽しみをもたらすが、自信とか幸福とか誇りはもたらさない。原因となるホルモンが違う。【結果】は喜びをもたらすことができるが、自信とか幸福とか誇りをもたらすことはできない。自信とか幸福とか誇りをもたらすのは【過程】なのである。つまり自信や誇りのない人でも喜びや楽しみはある。そして自信や誇りのある人でも苦しみや悲しみはある。これらが全く独立したものであると認識しないから、まるで成功を求めることが、不幸への道のように書いてある幸福論の本まで出てくるのである。また【自信や幸福や誇りが欲しいならお金を求めてはいけない】というようなことを書いてある本が出てくる。だから幸福論というのが現実の世界で元気にやっている人に好まれないのであろう。そういう本は【俺とは関係ない】と思われてしまって、説得力を持たない。ところで、このことに気がついてから面白い調査の報告に出合った。それは、幸福感についての調査の本である。何かを成し遂げて嬉しかったとか、誰かに自分のしたことを褒められて誇りに思ったとか、興味のあることで興奮したとか、そういうことを積極的な感情といい、何となく不安で椅子に長く座っていられないとか、孤独感に悩むとか、憂鬱だとか、そういった感情を否定的な感情と名付ける。そして驚くべき事実が分かったという。それは、その二つの感情のグループが独立しているということ。否定的な感情を生み出す経験が、必ずしも積極的な感情そのものを消すものではないと言う。さらに積極的な感情を生み出す経験が、必ずしも否定的な感情に影響を与えるものではない。つまり、【非常に憂鬱だけれども、非常に幸せだということもありうる】というのである。つまり二つの感情のグループが独立しているから、否定的な感情が、積極的な感情に相殺されて、幸せと感じるけれども、否定的な感情そのものが消えているわけではない。人間の感情は独立して働くことがあるのではないか。あくまでも自信や幸福は過程から生まれるもの。結果とは関係ない。例えば極端な話、詐欺師は人を騙してお金を得れば、その時には【うまくいった】と喜ぶであろう。そしてそのお金を使って美味しいものを食べれば楽しいであろう。この詐欺師の喜びや楽しみは【本当】の喜びでも楽しみでもないと幸福論の本なら書くであろう。あるいはそんなものは【偽りの】喜びと書くだろう。詐欺師は過程から生まれる自信や幸福を犠牲にして喜びを得たのである。よく幸福論の本で【本当の】とか【偽りの】とかいう言葉が出てくる。【本当の】喜びとか、【本当の】楽しみとかいう言い方がよくされている。この【本当の】という言葉を使う時には【結果と過程】の両方から得られるものを同時に得ていることを意味している。喜びは喜びなのだけれども、それを【本当の】喜びではないと書くから、いわゆる幸福論としての説得力がないのである。あるいは宗教関係の人の書く本は、いまひとつ一般人たちに説得力がない。つまり、一般の人たちはそれに従って生きようとはしない。ところで重荷から逃げる人は基本的に詐欺師と同じである。自信や幸福を犠牲にして喜びや楽しみを求めたのである。重荷をうまく人に押し付けて逃げた人は【うまくいった】とほくそ笑んでいるに違いない。喜んでいないと言えば嘘である。自分が楽できることで喜んでいる。その日は【うまくいった】ということで有名レストランで豪華な食事をして乾杯するかもしれない。しかし誇りとか幸せとか自信とかいうものはない。例えばゴーストライターに書かせた本がベストセラーになったとする。お金と名声は入る。そのお金で別荘をたてて、夏も冬も快適に過ごす。喜びも楽しみもある。しかし自信と幸せと誇りはない。基本的に人は重荷を背負うことで生きる充実感を持てる。自信はハードワークを通してしか得られない。それらは過程から得られるということ。安易な生き方からは自信や誇りは得られない。しかし安易な生き方からも時に喜びは得られるかもしれない。その可能性はある。もちろん得られない可能性のほうが大きいが。いくら【重荷を背負え】と言っても多くの人は【それは嫌だよなー】と心の底では思うに違いない。重荷を背負うことの中に自信が生まれると書いても、【それは理屈では分かったが、私は遠慮しておこう】と思う人も多いだろう。それは重荷には喜びと楽しみのイメージがないからである。逆に苦しみのイメージがあるからである。多くの人が望むのは、喜びと楽しみの中で自信と誇りと幸せも欲しいということ。でも現実の人生ではまず無理である。ただ重荷から逃げたときには、自信と幸せと誇りはない。しかし重荷から逃げないというような過程をきちんとした生き方をすれば、自信と幸せと誇りは手に入る。喜びや楽しみは手に入るかもしれないし、手に入らないかもしれない。正直な話、大変なだけの人生ということもあり得る。しかし結果だけを求めて結果が手に入らない時には、喜びも、楽しみも、自信も、幸せも、誇りもない。それは詐欺に失敗した貧乏な詐欺師みたいなものである。

著 加藤諦三 人生の重荷を軽くするヒントより一部抜粋