「好きなことをしていると、いつか自分に大切なことというのが出てくる。それは大切な人でもいいし、大切な場所でもいいし、大切な体験でもいい。何でもいいからそれは人とは関係なく自分にとって大切なこと。それは朝の体操でもいい。一人で絵を描くことでもいい。動物を飼うことでもいい。草原で一人風に当たることでもいい。心の教育とは、気持ちいいなーという感じを体験することである。爽やかな緑を見て、朝の風に当たって【気持ちいいなー】と感じる。その爽快さの体感が心の教育。そういう【気持ちいいなー】という体感の積み重ねで、感動する心が育つ。感動できる人間になっていく。爽快な心地よさの体験の積み重ねで、感動する心が育つ。あるいは、大好きな食べ物を作るでもいい。だいたい、いつも悩んでいる人は、大好きな食べ物がない。味覚がない。だから自分の好物を見つけ、それを食べるのをじっくりと楽しむのでもいい。日光に当たって美味しくなったキュウリを食べて【美味しいなー】と感じること。こうして味覚が出てくる。感情的に恐喝されて生きてきたあなたは、きっと【小さい頃、毎日食べた美味しいキュウリ】がないのではないか。そうした食べ物の思い出がないのではないだろうか。そうしたものをひとつひとつ作っていくうちに、【人が自分をどう思うか】がどうでもいいことになっていく。そして感情的に恐喝されない強い人間になっていく。強い人間とは、雑草のように地下にしっかりと根が張っていること。筋肉マンみたいな人ではない。【あー美味しい】という快感が、人間の根を深くしていくものなのである。味覚がない人は弱い。極端に言えば、今まで感情的に恐喝されていたあなたは腐ったものを毎日食べててもわからなかったのではないか。そしてこれが美味しいものだと親に言われると、それが【美味しい】と思ってしまう。人間の根を深くしていくということは、味の訓練をしていくこと。この味の訓練をとおして、好きとか嫌いとかが分かる人間になっていく。美味しいという体感をとおして、次に好き嫌いの感覚がわかる人間になっていく。身体で覚えていくことである。味覚の訓練がなされてない人は、お母さんの味が分からない。味オンチな人がいろいろな問題を起こす。砂糖と犯罪とが関係しているという調査もあるが、砂糖ばかり食べるということは、味オンチということであり、母が子どもを手抜きして育てているということでもある」
著 加藤諦三一部抜粋